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>彼は大学に残り研究をしていたが、パラメトロンを発明した。これは電子計算機の演算素子の一つであり、それを用いた電子計算機を開発した男である。その後も優れた研究成果を上げていたようだ。研究成果が認められたせいか、同期の中では一番早く教授に昇進した。
76期の一人です。昨年春まで、同期関東甲信越支部の幹事を少々勤めさせて貰いました。
最終の仕事として、曽野綾子女史に支部勉強会で講演をして頂きました。
さて、上記引用のG氏ですが、小生は2回会っております。記憶に間違がなければ、岐阜の出身であったと存じます。昭和25年の春と存じますが、東海道線の上りで、浜松で乗車した、小生は東京まで、ずっと話合って行きました。彼は非常にエレクトロニクスの実用面にも精通しておりました。
次いで、H社の中央研究所員であった際、同僚のY君(東京幼年校から陸士)が物理学科で同級であった関係で、研究室を訪ねられ、再会しました。昭和31年であったと存じます。Y君は彼が、
美智子皇后様とダンスを致した事あり、と聞いたと言っておりました。
始めて、G氏の死を知りました。哀悼の意を篭めて挽歌を献じたく存じます。
黄泉の 馨しき道 七色の 光に満ちて 君逝くらむか
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